おばあちゃん。

14日は母方の亡くなった祖母のお誕生日でした。


子供の頃はよくお泊まりに行ってお話していたのに、中学生になった頃から、どんな距離感で話をしたらいいのかわからなくなってしまい、だんだん会いに行く足が遠退いてしまった。



おばあちゃんは戦争経験者。
15、16歳くらいの頃に終戦を迎えた世代。


いつもはうちの家庭の話や、親戚、飼っている猫の話ばかりしていたのに、あるとき、たった一回だけ、戦争の話をしてくれたことがある。
戦争で、学ぶ権利、時間を失ってしまったこと。わたしの祖母はそれが本当に悔しかったそうだ。
戦後すぐに結婚をして、子供を育て、養い、家を支え、とても苦労した人。
自分の青春を自分以外のものに捧げた人。
祖母は横文字が読めない。
涙を流しながら、わたしに英語を勉強しなさいと言った。
あんな表情をした祖母を見たのは後にも先にもあの一回だけだった。




祖母は、わたしに看護師か公務員になって欲しかったらしい。
きっと一番期待されていたのに、わたしは大学を選択せず、表現の道に進んだ。

わたしはわたしで鬱屈した人生をどうにか変えたかったのだ。


祖母には演劇活動をずっと反対されていたけれど、闘病生活を続けていくなかで、わたしがどんな人生をこれから送ろうしているのか、いつしか優しい眼差しで受け入れてくれるようになった。


生の舞台に立つ姿は結局一回も見せてあげられなかった。




今なら、学ぶ喜びを理解できる。
あの日のおばあちゃんと向き合えるのに。


無知だったあの頃、なんと残酷なことか。




英語は好き。だけど苦手。

だけど、あの日のおばあちゃんの熱は受け継いだよ。これが残った者の使命なんだ。




期待を裏切る道を相変わらず進んでいます。
けど、この先が交わることを、わたしは信じています。



いつまでたっても心配ばかりかけていますが



まったく仕様がないね

笑って見てくれていますか。
そうだといいな。