身近に小さな子たちがいるからか、最近、昔のことを思い出します。
幼稚園とか低学年とかそれくらい。
前にお話したことあると思いますが、私には二つ年上の兄がいて、親が共働きだった為、いっつもお兄ちゃんの後をくっついて遊んでいました。
私の地元、東京江東区は川と公園、お寺の多い街。
至る所が遊び場で、自然と外に駆り出されました。
まだ本当に小さかった頃のこと
家から一番近かったのは、隣がソーセージ工場という、いつもソーセージの匂いがしていた通称ハム公園。
ブランコと滑り台と鉄棒と砂場がある小さな小さなその公園で
三輪車を必死に漕いでやってきては、靴投げブランコやかくれんぼ、鬼ごっこを日が暮れるまで遊んでいました。
小雨のぱらつくねずみ色の空の日、
半袖の季節なのに寒かった日
いつものようにハムの匂いと、熱い湯気が漏れ出ていた壁と並木の間に、産毛をツンツン立てた、はりねずみのような子猫を見つけました。
「ネコのお人形さん拾ったー」
抱き抱えながら、確かそんな言葉を吐いた記憶があります。
お人形…そう、その子はもう息を引き取っていたのです。
ホンモノだと気付いた周りの人たちはみんな気持ち悪がりました。
「汚い!捨てちゃいなさい!!」
そんな言葉を浴びました。
そのとき
「なんで?」
そう強く思ったのを覚えています。
小さな私ですら小さいと思ったその子に
なんでそんな言葉しかかけてあげられないんだろう…
独りぼっちなのに
何で?何で?何で?
温めてもちっとも温まらない身体が余計悔しくて悲しくて
想いだけじゃどうにもならないことをその時初めて知りました。
半べそかきながらお母さんの待つお家まで帰って、ずっと一緒にいる!って駄々こねて…
記憶はそこで途切れます。
たぶん保健所の方に引き取っていただいたのでしょう。
しばらくしてからもその公園で、中学生に、大切にしていた三輪車を隠されました。
真っ暗になってもお兄ちゃんと探し続けて、それでも見つからなかった三輪車。
本当に本当に悲しかった
楽しいことって泡のようで、どんどん消えてしまう。それはきっと、どんどん楽しいことを自分に詰め込みたいからなんだろうな
辛かったり悲しいことって、二度と味わいたくないから教訓として覚えているのかもね
地元
楽しいこと、もちろんたくさん!たくさんありましたよ!!
けど、今回は
ほろ苦。